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ぼたんえびの雑記

クラシック音楽を中心に適当な事をだべるサイトです。どうか気軽にお読みくださいm(_ _)m

ショスタコーヴィチ

ショスタコーヴィチ 作曲家

 20世紀最大にして最高の作曲家と言えば

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1903〜1975)を挙げる方が多いのではないか。前衛的な音楽が支配した20世紀において、王道を行きながらも誰にも似ていない革新的な音楽、死と隣り合わせだったという人生は過去の偉大な作曲家同様に伝説となっていて、我々クラシック音楽ファンにとっての定番作曲家感は40年ほど前まで生きていた方とは思えない。

 

彼の代表的作品と言えば、交響曲弦楽四重奏曲である。2ジャンル共に15曲ずつ残されているのは偶然か。

特徴はなんといっても、暗いこと。ちょっと他の作曲家とレベルが違う暗さであり、もう何もかも諦めた感じというか、マーラー大地の歌で有名な歌詞「生は暗く、死は暗い」を地で行く。響きの明るい箇所はもちろんたくさんあるが、どの曲を聴いてもシニカルというかやけっぱちというか…

マーラーからの影響があると感じるのは、シンメトリー的な形式や、金管と打楽器を多用するオーケストレーションであって、それらを用いて表現したことは私小説的なマーラーとは異なり、より全人類的なものでより共感を呼びやすいと思う。それに、本質的にショスタコーヴィチは歌の作曲家ではないと思う。よってあまり似ていない。

 

さらに個人的に思うのは歌の作曲家ではないと言ったことと少しかぶるが、アダージョが苦手だと思う。どの曲を聴いても印象に残るのはアレグロやプレストの早い箇所だし、腰を据えてじっくり叙情的に歌うことはなく、テンポが遅いときは音楽が荒涼としている場面に限られる。メロディーも全く持って歌いづらいし、音楽自体が早くアレグロになりたくてしょうがない感じに聞こえてしまうのは気のせいか。

 

私はショスタコーヴィチをあまり好んでいない、というよりあの酷薄な世界に耐えきれなくなるのだ。顔を背けたくなる。彼の人となりや当時の社会の状況を伝える文献は数あれど、その音楽が全てを伝えてしまっているのが痛ましい。

しかし、ネットを少しでも調べれば熱狂的ファンたちのサイトがゴロゴロと。ファンの熱意の高さは恐らく全作曲家中No.1。

 

彼の音楽を聴くのに最も重要なのは恐らく、彼の音楽のみならず、その特殊な国情と戦い続けた人生をよく理解することができるか、否かである。第2次世界大戦やソヴィエト連邦が忘れ去られるほどの時間が経たなければショスタコーヴィチを音楽のみで語る時代は来ないと言っていい。他の作曲家以上に社会に密着した作曲家だから少し社会のお勉強が必要。ウィキペディアやファンのサイトににレッツゴー。

 

作曲家にとって幸運でも、後世の人間にとって不運なのは、作曲家存命中に演奏解釈が固まってしまったことにある。あまりにも彼の同時代人は偉大すぎた。しかし、音楽的には昔の演奏でも充分なのだが残念ながら音質が…最近の演奏だと音質が良くても同時代人ほど徹底した演奏がなされていない中途半端さ。ネルソンス盤は過去の呪縛から解放された感があり、そろそろ音楽のみでショスタコーヴィチを語れる時代が近づいているかも。

弦楽四重奏曲の場合は人数が少ない分、演奏家の意思がストレートに反映された色々な演奏が聴けて面白いけど。今の所は月並みだがボロディンSQがとてつもない楽譜の読み込みのレベルの高さ。最近新録音も出たようだが、未聴~_~;

 

以下、前述した偉大すぎるショスタコーヴィチの同時代人である。

 

例えばロストロポーヴィチ。チェロと指揮の両面からショスタコーヴィチの作品を広めるのに貢献。作曲家としてはショスタコーヴィチの弟子だし。あのエロオペラマクベス夫人を西側に紹介したのも彼。

彼自身が音楽家としてあまりに偉大すぎるもんだから、彼の音楽がショスタコーヴィチのイメージに一役買ってることは間違いない。

 

交響曲の場合はムラヴィンスキーの影響が絶大

涙も枯れ果てた凍てつく恐怖世界を作り出し、異常な説得力のある演奏を大半の交響曲を初演した人がやっちゃってるんだもん、そりゃーみんな影響受けるわな。マーラーの場合はワルターメンゲルベルククレンペラーとかみんな自分のやり方で料理したから後世の人からすればいろんな解釈の道筋が残されたわけだし。


コンドラシンも…ゴリゴリの凶暴ロシアンな響きで容赦なく突撃する、ムラヴィンスキーと少し違って氷が燃えてるメタンハイドレートみたいな演奏で、ムラヴィンスキーと違って全集作ってるし、そりゃーみんな「ショスタコーヴィチってこうなんだ!」ってなるわな。教科書の出来が良すぎたんだ。マーラーの場合はカラヤンあたりがR.シュトラウスみたいな流麗さとオーロラみたいな美しさで勝負したもんだから、「あ、それもありやな」的な感じになっただろうし。


バーンスタインとかスヴェトラーノフの場合やらかしちまってるよ…上記の人たちよりもホットな演奏だけど、このあまりに熱狂する方向の演奏はやり尽くしてしまった感があって、現代の演奏家がモノマネをしても勝ち目が薄い。。。

両者が残したレニングラードの録音あたりのテンションを仮に今再現できるとしても、それが通用する時代はもう終わった気もする。


ハイティンクは当時としては叙情的で素晴らしいが、それでも普段他の作曲家演奏には見せない冷え冷えとした雰囲気が支配している。10番のみだがカラヤンも然り。戦争を知る世代の人間には、その記憶を拭い去ることはできなかったか…

ショスタコーヴィチ解釈の多様化のためというのはもちろんだが、、音楽のみでショスタコーヴィチを見ることができる平和な世界になってほしいし、ショスタコーヴィチに心の底から共感できてしまうような時代は2度と来てはいけない。現実問題、もし再び来るようなことがあれば地球が終了してしまうけれども。